| 昭和5年度 |
FWにセブンシステムを採用、三段縞のユニフォームを制定 |
| 昭和6年度 |
佐藤文四郎先生を部長に迎える
11月12日に皇后陛下行啓の際、特別教室のベランダから
紅白試合をご台覧になられた。 |
| 昭和7年度 |
白地に紺の二段縞のユニフォームを制定
関東高等学校ラグビー蹴球連盟に加盟
(成蹊、浦和、一高、成城、水戸、府立、および本院) |
| 昭和8年度 |
第一回高校東西対抗選抜試合が花園で実施
本院から毛利、蒔田、戸田、五十嵐、五井、鮫島、池田の7名が出場 |
| 昭和11年度 |
高等科英語教授ケジャー氏(オックスフォード大出)のコーチを受ける
対成城学園高校戦でダブリン・フォーメーションを採用する |
| 昭和17年度 |
帝都空襲のため成城学園高校戦中止となる |
| 昭和18年度 |
12月学徒動員が行われメンバー編成が困難となる
ラグビーは闘球と改称された |
| 昭和19年度 |
戦争激化のため満足に試合は行われなかった |
| 昭和20年度 |
8月15日終戦、部活動は行われず |
| 昭和21年度 |
復員者を含めて充実したシーズンとなる |
| 昭和23年度 |
田中政次先生が部長就任
フライングハーフによるFW7人制を採用 |
| 昭和24年度 |
大学が発足し、旧制高等科は廃止された。
しかし、大学メンバーが揃わず練習のみ実施。
新制高等科が秋季国体東京都予選から、戦後初めて二段縞のユニフォームを着用 |
| 昭和25年度 |
大学としての活動はこの年度より開始。 |
| 昭和26年度 |
戦後最初の地方合宿を8/21から29まで秩父 親鼻で実施 |
| 昭和28年度 |
現在の北グランドの使用 |
| 昭和30年度 |
五大学OB定期戦開催(成蹊、青学、成城、一橋、本院) |
| 昭和34年度 |
12/12に全国新制大学大会関東地区予選決勝で惜しくも明学に敗れる |
| 昭和44年度 |
夏合宿が菅平で実施 |
| 昭和46年度 |
12/4に地区対抗関東代表決定戦において、日本工業大に勝利
1/2お地区対抗大学大会1回戦で九州産業大に敗戦 |
| 昭和47年度 |
対抗戦1勝4敗 |
| 昭和51年度 |
四大学大会に三戦全勝で優勝 |
| 昭和53年度 |
対抗戦初戦の明治戦で明治のスケジュールミスもあり前半12-6のリード
後半一軍選手の帰京による選手交代で12-31の敗戦
|
| 昭和59年度 |
明治戦において前半8-22なれど、後半14-8と明治を追い詰めるが敗戦 |
| 平成元年 |
創部60周年を記念して香港遠征を実施、現地チームに三戦三勝 |
| 平成9年度 |
対抗戦がA/Bに分離、Bグループに所属 |
| 平成16年度 |
対抗戦Bグループ2位によって入替え戦も立教大に破れB残留 |
| 平成17年度 |
対抗戦Bグループ2位によって入替え戦も立教大に破れB残留 |
| 平成18年度 |
対抗戦Bグループ2位によって入替え戦も青山学院大に破れB残留 |
| 平成19年度 |
対抗戦Bグループ2位によって入替え戦も成蹊大に破れB残留 |